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本や漫画やゲームやら、そんなものが好きな人のブログ。たまに二次創作も。
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中学の頃、あさりよしとお先生のまんがサイエンスのロケットの巻を読みました。
その時のわくわくとした気持ちを思い出しました。そして、何だか切なくなりました。
少年たちの夏、を描いた作品としても素晴らしいです。 そして何より、ロケット、という物に込められたロマン・・・!
宇宙に挑戦する、という途方のない冒険心。
あさりよしとお先生は少年の頃、本物の、宇宙に憧れる心を持った少年だったのでしょう。
爽やかで、切なくて、そして夢見る純粋な気持ちを思い起こされる。 ノ
スタルジックで素敵な一冊です。 宇宙好きならば是非!一読を。
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鬼頭莫宏先生は三浦可淡のお人形がお好きらしい。
という噂を聞いて以来、気になっていた、こちらの作品。
この物語はヴァンデミエールという人形たちをめぐる物語だ。
その世界観はまるで、19世紀のヨーロッパの様でもあるし、どこか遠い架空の世界の物語のようにも思える。
ここに出て来る人形たちは、姿かたちは多少違いがあるけれど、同じ名前を付けられた何かの代他品のような、そんな印象の作品たちである。
彼女たちは自意識を持ちながら、個性を与えられず、“ヴァンテミエール”に回帰する。
あんなに反抗的で攻撃だったヴァンテミエールも。
姉の人格をそっくりそのまま映したヴァンテミエールも。
結局は“ヴァンテミエール”として覚醒し、その命を終える。
そしてヴァンテミエールはヴァンテミエールとしての自分を火葬して、新たな生の道を歩き出す。
翼をもぐことで彼女自身が彼女の呪縛を解き放ったその、目が、大きな飛行機を見つめ「なんて力強い 黒い大きな翼」と呟くその表情の、なんと晴れ晴れとした事か。
 
この作品には親子の供依存の話が二つもある。
ひとつは殻を破り外界へと飛び立ち、ひとつは繭に囚われ閉じ込められる。
一番始めの話にも、親からの押し付けへの嫌悪感を催される様な表現があったりする。
この物語は、子供から大人へと羽化する、個の誕生の物語を一番、描きたかったのでしょうか?
不思議と、生きる事の素晴らしさを感じさせる、心地のいい物語でした。
 
最後に、鬼頭先生の描く女の子は不思議なフェティシズムを感じるなぁとは思ってましたが、今回の自律胴人形たちをみて、鬼頭先生はやっぱりこの体の造形にこだわりがあるのだろうなぁと思いました。
よいですよね、鬼頭先生の描く、女の子たちって。
 


読み方によっては陳腐な話かもしれない。
「生に対する復讐」「意味を持たない殺人」「りょくじょくと暴力」
西岡兄妹の作品は、思春期の頃に囚われやすい悪魔を表現するのがとても上手いと思う。
まるで籠の中に囚われた小鳥のように、それを手中に収めている。
あの時のあの感覚、を覚えている人にとっては、懐かしさを感じるかもしれない。
そうでない人々には只不愉快さに顔をしかめるだけかもしれない。
たった今、悪魔に囚われている方には、どう映るだろうか?
あとがきに聖書からの引用がなされている。
マルコの福音書から、レギオンの項がそのまま、なんとなく、納得はしたけれどまだまだ彼らに何の意図があってこの作品を作り上げたのか、理解することはできない。
 
美しくディフォルメされた作画と、象徴的な残虐さを讃えた物語が頭脳に心地いい一作。
直接的な暴力描写が多いので、ちょっと注意が必要だけれども。
出来るだけたくさんの人に触れてもらいたい作品です。
 

始めに断っておくと、私はイランや中東における様々な社会的問題についてそれほど詳しい訳でもなく、それほど興味があるわけでもない。
私は只、平和とは言い難い国に産まれ、生きている少女に興味があったので、この本を手に取ってみたのだ。
なので、その問題の核心の部分には、私は触れない事を最初に断っておこうと思う。
 
マルジ、はかつての王族の血筋を受け継いだ裕福で教養高い家庭の生まれで、家には住み込みの家政婦が居り、父は外国車を乗り回すような人で彼女自身も学校で、リベラルな教育を受けて育ってきた少女である。
なので、彼女の目線は私たちに近い物があるけれど、それが彼女の国にあふれる“少女たち”の目線であるとは言い難い。
けれど、彼女の天真爛漫で純真な、子供らしさは痛ましい戦争の描写や、小父や友人に起きた悲劇を外国の“どこか”でなく“いま”として私の眼前に迫ってくる。
まるで日記を読み返しているような、そう。分かりやすく言うと『アンネの日記』に似た雰囲気を持っていると思う。
彼女の描くイラストはシンプルなデザインでどこか民族的な温かみをもっている。
コマのワークもシンプルながら、コントラストが利いていて読みやすい。
全体的に劇的さは感じない、けれど。だからこそ、演出では引き出せないリアルさが表現されている。
少なくとも私はこの本を読んでいる間、マルジになりきっていた。
この1、は彼女がオーストラリアへ行く事になり、両親と別れを告げる所で終わっている。
2では青春時代を向かえ大人になっていくマルジが描かれる様だ。
そちらも是非、読んでみたいと思う。
 


私が思うにこれはデブスから見た世界の物語である。
女の子ってのは、何故か、まるでモデルか女優かアイドルのように、可愛くて美しければ、何もかもが許されるのではないか、という。
幻想を持っている。
実際は見た目が世界に与える影響なんて、微々たるものだというのにね。
 
私自身、もっと顔が小さくて、目が大きくて、程良い肉つきがあってでもくびれもしっかりあるような。グラビアアイドルのような容姿になれたら!
きっと毎日ハッピーだろうなあ。と漠然と思っていたりする。
でも、もし整形やらなにやらで、夢の肉体を手に入れたとしても。私自身の世界観を変えないかぎり永遠とコンプレックスに悩まされる運命となるのでしょう。
きっと。
 
主人公ののこはいわゆるデブである。
でも、ちゃんと就職もしてるし、それに長年付き合っている彼氏だっている。それに別に悲観するほど見た目が悪い訳じゃない。
フツーの、只のおデブちゃん。
性格も大人しくて真面目で、日常で付き合ってもそれほど嫌じゃないタイプだと思う。
でも、世界は彼女に厳しい。
いや、世界は彼女だけでなく誰にでも平等に厳しいのだけど。彼女はその厳しさは自分の容姿に原因があるのじゃないかと思ってしまう。
そんな彼女に辛く当たる、美人だけど性格破綻者という設定の女性。
彼女もまた、きっと自分の美しさにしか価値を見出してない人なんじゃないかなぁと思う。
美醜の差でしか人間の価値を測れない彼女には、のこや、それ以外のデブやブスは許してはいけない存在であり、自分の価値を高めてくれる哀れな奴隷のようなもののようです。
のこは、彼女の存在により自身の、身体性への依存を高めていく。
そうしてエステに通い、何とかしてデブスから脱出しようと試みるも、余りにも弱い心を持った彼女はつい、ストレスを感じると“暴食”に走ってしまう。
今までは暴食による肥満も、世界の厳しさを緩和させてくれるいい“いいわけ”と足り得たけど、デブである自分を否定したのこは、暴食と肥満という逃避方法を失いどんどん深みへと堕ちてってしまう。
そうして身も心もどんどんすり減っていってしまうのだ。
でも、結局彼女の身体が変わっても、世界からの厳しさは変わらなかった。
ただ、彼女の居場所……。ブスでデブでのろまだから私はいつもみんなから辛く当られるんだという立場と言い訳を失くしただけだった。
彼女はまだ、自分が自分の身体性に依存している事に気がついてはいないけれど。何となく、また太れば以前の様な安らかさを取り戻せるという予感を抱き。エンドマークが降りる。
だけれど、きっとのこは、これからもきっと痩せたり、太ったりを繰り返してしまうだろう。
崩壊した身体と精神は、なかなか元には戻らない。
のこが、本当に自分自身に向き合う事が出来る様になった時。
ようやっと、彼女は救われるでしょう。
願わくばその時が出来るだけ早く来たらんことを、心から願います。

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